History
1905年、田中勇太郎により材木商として歩み始めた田中材木店。約100年間、様々な日本の影響を受けながら皆様に支えられ、今日に至ります。田中材木店の軌跡を日本・熊本の歴史とともにご紹介いたします。
…田中材木店のあゆみ
…日本のあゆみ
…熊本のあゆみ
1905
田中勇太郎、上益城郡木山町にて材木商を営む
1908
1912
1923
田中庄太郎、10馬力にて丸鋸盤を設備し製材業を創立
1924
1925
昭和に改元
1927
日本初の地下鉄が上野~浅草間で営業を開始
1929
1942
太平洋戦争時、木材統制法に基づく企業合同のため熊本地方木材株式会社に製材設備を譲渡し廃業
1945
第二次世界大戦終戦
1946
1947
1948
日本人初のノーベル賞を湯川秀樹博士が受賞
1949
1953
白川大水害にて甚大な被害に見舞われる(6.26 白川大水害)
1954
水前寺1丁目で製材工場を稼働
1955
1956
経済白書「もはや戦後ではない」
1958
1959
1960
1961
1963
水前寺工場の敷地の一部をスーパー「サニー」に貸与すると共に、製材工場を廃止し、販売を主体とした営業所とする。琴平工場を拡張し、近代化した製材工場を増設。
1964
1965
1966
前年に続き、『熊本市民早起き野球大会』第10回大会に出場。3-1で2回戦を突破するも、3回戦は2-4で敗退。(以後、世代交代しながら今日まで出場中。)
1967
外材輸入の増加に対応し、琴平工場を大型化し、同時に徹底した省力化設備となす。
1968
1971
九州自動車道 植木IC - 熊本IC間開通
1972
1973
・センタープラザ オープン
・オイルショック
1974
1975
1976
1980
1982
経営多角化の一環として、若葉2丁目にビルを建設しユニードダイエーに賃貸。
1984
BS衛生放送開始
1985
田崎町に店舗を建設し、大野商事「パチンコ大統領」に賃貸。
熊本県立図書館が現在地に移転
1986
1987
1989
・平成に改元
・消費税が初めて導入される(3%)
1990
物流コストの合理化推進のため旧南熊本工場(琴平2丁目)へ本社と営業部を移転。販売仕入財務等の完全管理体制を敷く。7月、株式会社田中材木店に改組。
バブル崩壊
1991
1992
1995
九品寺の旧本社跡地に店舗を建設し、ハローグリーンエブリーに賃貸。(現在は、㈱イズミ「夢マート」)水前寺にダイアパレス建設株式会社と共同で、ダイアパレス水前寺駅通りを建設。
1996
田中信敬、代表取締役に就任。
携帯電話が一般層にまで普及
1997
神水2丁目の「県庁前サッシセンター」を琴平に統合。
消費税が5%へ
1998
2001
2002
琴平にプレカット機械を導入し、プレカット工場を稼働
サッカーW杯日韓開催(ベルギー代表熊本でキャンプ!)
2003
地上デジタル放送開始
2004
九州新幹線の鹿児島ルート"新八代-鹿児島中央間"が開通
2005
創業100周年を迎える
2007
取引先からの要望に応え、工事課を開設。主に木工事で現場をサポート
2008
リーマンブラザーズ破綻(リーマンショック)
2009
SL人吉(通称:ハチロク)が運行
2010
スマホの普及
2011
2012
2015
マイナンバー制度開始
2016
2017
益城町製材工場を閉鎖
藤井聡太、最年少デビュー(14歳2か月)から無敗のまま歴代最多連勝記録を更新(29連勝)
2018
4K・8K放送開始
2023
橋爪慧、代表取締役に就任。